ヅラNote

コピーじゃダメ。「本物」

スーパースターは嫌いです。

お前が言うなと思うかもしれませんが、

僕が一番嫌いな言葉はスーパースターです。

いや、正確に言うとすれば嫌いになったと。

 

 

人間はどうしても幼き頃から見比べたがる。

どのクラスのあの子がいい、

あのスーパーの商品のほうが安い…

あふれ出る世の中の事柄から

自分が好んだ選択を信じたがる。

そしてそれは決して選択に限った話ではない。

 

あの子よりも速く走れることができる、

テストでいい点を取った…

あの子よりもたくさんお金を持っている、

フォロワーが多い…

いい大学に合格した、大手企業に入社した…

対象となるモノや事は違えど、

自分たちが生きている間には

「見えない何かとの比較」が絶対にある。

これを避けることはほぼできないと言ってよい

 

 

 

そして人間は比較をすることで自分の選択や

自分の持ち合わせている能力を認めようとする

人よりも高い洋服を持っている…

人よりも友達が多い…

人よりも給料の高い会社に入っている…

これらがその比較に該当するだろう。

選択や能力を自分の価値基準に

当てはめることで選択や能力を正当化する。

「自分は優れているんだ。」

「自分がしていることは正しいんだ。」と。

 

 

 

 

いうなれば自分は周りと比べて

「何事にも優れてきた少年時代」を過ごした。

誰よりも早く走ることができた。

テストをすれば基本的には高得点を取った。

クラスの中心にいた。友達も多かった。

付き合ってくれる女の子も多かった。

 

中学〜高校もさほど変わらなかった。

何不自由なく野球をすることができたし、

試合に出場することだって簡単にできた。

友達だって数多くいた。彼女もいた。

勉強もできた。みんなが国立大合格を唱える中

「いや、俺は絶対に早稲田行くから。

だから理数系は勉強しません。」と宣言し、

スポーツ科学部ではあるが1発で合格した。

おそらく5年ぶりくらいの早稲田合格者だった

 

 

 

 

きっと経歴や過ごしてきた日々だけを

考えれば僕はスターになれる道を歩んできた。

俺はどこかしら自惚れていて自分が一番だと思い込んでいる中二病少年であったことがよく分かる。 そう、佐賀という狭い世界でいい気になっている状態。 まさに ”井の中の蛙大海を知らず” である。

誰かのブログがこう言っている。

狭い世界で吠えているだけでは誰にも響かない

ただ狭いだからそれに気付かないだけだと。

 

 

 

 

 

 

 

愛知という狭い世界で吠え続けていた狼が

東京に放たれた時、現実を知った。

野球が上手い人間なんて遥かにいる。

頭のいい人間なんて遥かにいる。

イケメンな男なんて遥かにいる。

お金持っている人間なんて遥かにいる。

 

 

 

 

広い大海原では誰もがその存在を知らせようと

誰よりも大きく吠えている。負けじとその狼も

吠えてみる。しかし、狭い檻の中でしか

吠えたことのない狼は何も知らなかった。

自分の吠えた叫び声が小さいことを。

誰にも見向きをされないことを。

 

 

 

 

 

 

大学4年間はそんな葛藤だらけの日々だった。

野球で満足いく結果を残すことができない。

就活で満足いく企業に入ることができない。

東京で満足いく女を捕まえることができない。

自分が1番だと信じ続けていた空虚な自信を

広大な東京に打ち砕かれた。そんな4年間。

 

 

 

 

 

そしてそんな4年間を過ごしていた中で

主役から遠ざかっていく自分の姿があった。

そんな自分を守るためにこう名付けた。

それが「スーパースター」という言葉だった。

 

 

 

言葉には力がある。言霊という単語からも

「唱え続けることで自然とそうなる。」

ある種宗教的な思想ではあるが、声に出す事で

何かが変わっていくかもしれないということ。

 

 

 

 

 

だからこそ、僕は唱え続けてきた。

スーパースターになる為に。

スーパースターだと自分を信じ込むように。

ただ、最近になって少し違和感を感じていた。

今の価値基準に当てはめるとするならば

「スーパースター」になれた瞬間というのは

1度もなかったんじゃないかと思っている。

 

 

 

 

 

それは価値基準が「犬山」でしかないからだ。

そう考えると振り返った人生で僕は何も

成し遂げられていないような気がする。

・私立に声がかかるほどの実力がない

・甲子園にも手が届くことはなかった

・大学でも試合にまともに出れていない

・就職活動にも失敗した

・最愛の女は今では友達の彼女になった

ざっくり言うなればこんなところだ。

 

 

 

 

ただ周りからの価値基準だと差が生まれる。

「野球を続けてきた。早稲田にも入った。

そしてJR東日本にも入社した水野将太。」

経歴だけをみたら羨ましがる人も実際いる。

ただ、それはあくまでも他人の価値基準だ。

何も成し遂げていないのに経歴だけを判断し

僕はここ最近は称賛されてきた。けど中身を

知る自分自身としてはもどかしい気持ちだった

 

 

 

 

 

そう考えてみれば僕が主役になった瞬間は

まだ人生において1度もないのかもしれない。

だからこそ今になって気付いた。

「スーパースター」になりたいから声に出す

ということではない。

「スーパースターだったあの頃の自分」がいた

ということを残しておきたいからだと思う。

そしてあの頃の自分は狭い世界で吠えた狼だ。

つまりは価値基準は「犬山」でしかない。

そう考えると「犬山で主役を気取っていた

そのちっぽけな自分を守る為の呪文」が

スーパースターという言葉になってしまう。

スーパースターになりたい自分自身ではなく、

スーパースターと思いながら過ごしていた

あの頃の水野将太を守りたい。結局は過去の

価値基準を今に持ってきて逃げてるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

だから僕はこれからその言葉を使わない。

別に過去の価値基準を否定するつもりもない。

何も成し遂げられない自分を否定もしない。

ただ、広がるのは目の前にある事だけだから。

 

 

 

 

スーパースターと唱え続けるのではなく、

そう呼ばれるのに相応しくなってからでいい。

自分で呼ぶのではなく、周りから呼ばせる。

スーパースターになることを夢にしてしまえば

叶いもしない絵空事で終わってしまう。

そんな人生では悲しくなってしまう。

 

 

 

 

 

 

あの頃の自分を否定しない為に。

 

 

 

 

 

 

成し遂げられない自分から叶える自分へ。

 

 

 

 

 

何もない真っ白なキャンバスに描いてやるよ。

 

 

 

 

 

水野将太は何もない凡人だ。

それは心の底から自覚しているよ。

だからこそ、本物になりたいんじゃんね。

本当のスーパースターになる為にこれからは

その言葉を口に出すことはしない。

今まではこれまでの自分を護る意味での

「スーパースター」だったから。

だから自分はまだまだ半人前だし程遠い。

「スーパースターサテライト」というわけか。

 

 

 

 

 

長い時間をかけることになるかもしれませんが

いつかそう呼ぶにふさわしくなれるように

今は自分から名乗ることはやめることにします

スーパースターになりたいのに

自分がその単語を使うことでスーパースターを

遠ざけてしまうなら今は使いません。

 

 

 

 

 

東京に戻ってくる東海道新幹線はいつの日も

色々なことを考えさせてくれる。

車内から見える東京タワーは変わらない。

いつの日もこれから東京で奮闘する自分たちを

歓迎して試されているような気分になる。

ただ何年経とうが東京のシンボルとして

そびえ立ち、人々を魅了し続けるお前こそ

自分が目指すべき「スーパースター」なのかも

 

 

 

 

 

 

そんなことを考えた新幹線車内でしたとさ。

f:id:BallisticDream:20200121192819p:image

誰もが憧れ、魅了するような本物に

少しでも近づけるように奮闘します。